■事件の概要

1993年、新庄市立明倫中学校で生徒が体操用具室のマット内で死亡。生徒7人が犯人とされた。少年審判で3人の不処分が確定、3人が保護処分。遺族が起こした損害賠償訴訟は、一審で全員の関与を否定、高裁で逆転不当判決、最高裁で確定した。

■経過

  • 1993年1月13日 事件発生
  • 1993年1月18日 明倫中学校の生徒3人逮捕・4人補導
  • 1993年1月29日 山形地検、逮捕3少年を山形家裁へ送致、補導4少年を山形中央児童相談所に通告
  • 1993年2月10日 逮捕3少年、山形家裁で審判開始
  • 1993年3月26日 補導3少年、山形家裁へ送致 残る1少年を「児童福祉司による在宅指導」の行政処分(有罪)
  • 1993年8月23日 山形家裁、逮捕3少年の不処分(無罪)決定
  • 1993年9月14日 山形家裁、補導3少年の保護処分(有罪)決定
  • 1993年11月29日 仙台高裁、保護処分3少年の抗告棄却決定
  • 1994年3月1日 最高裁、保護処分3少年の再抗告棄却決定
  • 1994年3月22日 保護処分3少年の付添人、再審請求にあたる保護処分取り消しの申し立てを山形家裁に提訴
  • 1994年6月1日 残る1少年、行政処分が無効確認を求める行政訴訟を提訴
  • 1994年10月14日 山形家裁、3少年の保護処分取り消しの申立て棄却・却下
  • 1994年12月26日 仙台高裁、3少年の抗告棄却
  • 1995年2月13日 最高裁、3少年の再抗告棄却
  • 1995年12月26日 遺族、少年7人と新庄市を相手に1億9365万円の損害賠償請求訴訟を山形地裁に提訴
  • 1996年2月23日 残る1少年の行政処分が無効確認訴訟を取り下げる(損害賠償請求訴訟に集中する由により)
  • 2002年3月19日 山形地裁、遺族の請求棄却判決(全員無罪)

現在、少年たちの無実を明らかにするため、再審の可能性を追求しています。

■連絡先

山形明倫中裁判・無実の元少年たちを支援する会
〒996-0301 山形県最上郡大蔵村肘折 高山信男

1993年1月13日、山形県新庄市立明倫中学校の体育館マット室で放課後に、1年生の男子生徒が丸めて立ててあったマットに頭から入って、足だけが出ている状態で発見され、救急車で運ばれましたが死亡が確認されました。

警察は、当時1、2年生の男子生徒7名が、被害者にマット室で殴る蹴るの暴行をおこなって、丸めてあるマットの上に乗って、抵抗する男子生徒を無理やりマットに逆さまに押し込んで放置し死亡させたとして14歳以上の3名を逮捕し、4名を補導しました。少年たちは無実を訴えましたが、警察の長時間の強制と誘導の取調べで、12歳から14歳の幼い少年たちは、うその「自白」をさせられました。マスコミは少年たちを犯人として断定し「いじめ殺人」と大々的に報道しました。


しかし、少年審判では、7名のうち3名が、アリバイが成立するなどとして不処分(無罪)となり、これが確定しました。もう1名が児童相談所の指導措置となり、保護処分(有罪)とされた3名は抗告しましたが、仙台高裁で棄却し、最高裁での再抗告も棄却されました。少年たちと家族は、無実を訴えて保護処分の取消を求めましたが、棄却されました。

その後、死亡した生徒の遺族が「犯人」とされた7名の少年たちと新庄市を相手に損害賠償請求の民事裁判を起こしました。一審の山形地裁は、6年におよぶ慎重な審理のうえ、「遺体には何らかの暴行が加えられた否かを確知することはできず、他人の力によってマットに入れられたと即断できない。遺体が発見されたマット室も何者かが暴行を加えたとするには整然としすぎているし、指紋その他の物的な証拠もない」、そして「少年たちと本件事件の結びつきはおろか、本件事件の事件性すら認定することができない」として、少年たちは「無実」であると判決しました。

ところが、仙台高裁は不当にも、事実と証拠を無視して少年たちを犯人とした逆転不当判決を言い渡し、最高裁も少年たちの上告を棄却しました。

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