■事件の概要
2002年7月28日午前1時頃、愛知県豊川市内のゲームセンターの駐車場で、とめてあった車の中にいた当時1歳10カ月のAくんが誘拐され、4時間後に三河湾で遺体となって発見されました。
事件から9カ月後の03年4月15日、警察は、事件当日に同じゲームセンターの駐車場にいたトラック運転手の田邉雅樹さん(当時35歳)を犯人として逮捕。田邉さんは、いったんは「自白」させられましたが、国選弁護人と接見した後、否認に転じました。
2006年、名古屋地裁で無罪。しかし07年、名古屋高裁で懲役17年の有罪判決が出され、2008年、最高裁で刑が確定。2022年8月に大分刑務所を満期出所。
■有罪判決の筋書
有罪判決の描く事件は以下のとおりです。
妻から「長男への勉強の教え方が悪い」などと罵(ののし)られた被告人(田邉さん)は、27日午後8時30分頃、軽自動車でゲームセンターに車を止めて眠りについた。ところが、近くの車の中で寝かせられたAくんの泣き声で眠れなくなり、妻から罵られたことを思い出し、イライラがつのり、Aくんをどこかへ置き去ろうと考えた。Aくんを自分の車に乗せ、車を走らせたが、誘拐を知られないために殺害を決意。三河湾に面したガードレールの側に車を止め、海に投げ、殺害した。
■有罪判決の問題点
①殺害方法の変遷
田邉さんは当初、Aくんをガードレールの外側(海側)に立たせ、背中を押して海に落としたと「自白」していました。しかし、朝日新聞などが調査した結果、投げ捨てた時刻は干潮で、岸壁直下の岩が露出し、そこに落ちれば外傷が残るはずなのに遺体には外傷はなく、矛盾が判明。その指摘後に、「自分もガードレールの外に立ち、被害者をバスケットボールのように数メートル投げた」と現場の状況と合うように「自白」が変更されました。
②車に痕跡がない
田邉さんの軽自動車の微物検査がおこなわれましたが、Aくんを乗せた証拠となる痕跡(被害児の毛髪や皮膚組織、衣服の繊維、涙の成分など)はまったく発見されませんでした。
③「自白」の強要
判決では、逮捕前に「自白」していることを重視しています。しかし、任意同行を求められ警察署へ連行された田邉さんは、取調べのあとも、警察が日頃利用するビジネスホテルに宿泊させられた上、翌日再び警察署へ連れて行かれるなど、強制的に社会と隔離させられ、孤立感を強めたもとで「自白」に追い込まれました。また、精神鑑定の結果、田邉さんが「非常に迎合的である(相手との衝突を避けようとするために、言うことを受け入れ易い)」との所見が出ています。
田辺さんは、駐車場で睡眠をとっていただけで、事件とは関係ありません。
2011年7月に「えん罪豊川幼児殺人事件 田邉さんを守る会」が結成され、16年7月に、名古屋高裁に再審を申立て。
2019年1月に再審請求棄却の決定が出ましたが、すぐに異議申立を行いました。名古屋高裁刑事第2部(異議審)は、2023年6月7日、請求棄却。現在、最高裁。
連絡先
「えん罪豊川幼児殺人事件 田邉さんを守る会」
〒460-0011 名古屋市中区大須4-10-26 大須土方ドリームマンション401
署名用紙、ビラ