事件の概要
三鷹事件は、アメリカの占領政策転換に対抗する国民的な運動の先頭に国鉄労働組合が立つなか、国鉄を舞台に引き起こされた事件で、下山、松川事件とならぶ三大事件の一つです。

国鉄労働者10万人の大量首切りに反対するたたかいの最中、1949年7月15日夜、現在の東京・三鷹市の中央線三鷹駅構内で無人電車が暴走し、死者6名、重軽傷者20数名の大惨事が起きます。吉田茂首相は実質的な捜査が行われていない翌16日に「共産主義者の扇動」などとする声明を発表。マスコミも国労・共産党を犯人と決めつける中、7月17日、国鉄労働組合三鷹電車区分会長の飯田七三さん(元国民救援会中央本部副会長)らが逮捕され、つづいて竹内景助さんら三鷹電車区分会員ら計10人が「電車転覆致死」の実行犯として逮捕、起訴されました。

一審判決(1950年)は、国労組合員と共産党員の共同謀議による組織的な犯行という検察側主張について、被告人らには明確なアリバイがあり共同謀議は「空中楼閣」として犯行を否定、竹内さん以外の9人を無罪としました。しかし、竹内さんについては、単独犯行の「自白」にもとづき、無期懲役としました。翌1951年に東京高裁で死刑を宣告され、1955年に最高裁大法廷で「8対7」の一票差で上告棄却、死刑が確定しました。

竹内さんは1956年に東京高裁に再審を申し立てましたが、高裁は1967年に竹内さんが獄中で死亡(45歳)したことを理由に、再審の手続は終了したと決定しました。

事件から62年、竹内さんの獄死から44年の時を経た2011年11月、竹内さんの長男が第2次再審を東京高裁に申し立てました。

■矛盾する証拠
この事件で、竹内さんが犯人であるとする証拠は、捜査段階及び公判廷での竹内さんのウソの「自白」しかありません。
確定判決は、犯人が1人でも犯行が可能であるとしていますが、根拠となる証拠と理由は何ら示されていません。
また竹内さんの自白は、犯人しか知り得ないことを自白した「秘密の暴露」も存在せず、自白を裏付ける物証や客観的な証拠もありません。むしろ、自白と矛盾する証拠が存在し、自白の信用性は極めて弱いものです。 また、唯一状況証拠としてあるのは、事故後の時間帯に、三鷹駅正門前の道で竹内さんと出会ったという目撃者の公判での証言です。

確定判決は、検察が国鉄労働組合と共産党員が共同謀議し、組織的な犯行をしたという主張については、被告人らには明確なアリバイがあり共同謀議は「空中楼閣」としてその犯行を否定して、竹内さん以外の9人を無罪としました。しかし、竹内さんについては、公判廷での単独犯行の供述に基づいて、無期懲役としました。(9人は最高裁で無罪が確定)

■「自白」では犯行は不可能
本件で竹内さんと犯行を結びつける唯一の直接証拠は自白のみで、事件に近接する時間に竹内さんを三鷹電車区正門前で見たというSの目撃供述がこれを補強しています。しかし、事件当時から「自白」の方法では電車を発進させることはできないと指摘されてきました。

「自白」では、竹内さんは先頭車両の運転台にのりこみ、コントローラー(自動車のアクセルにあたる)のハンドルを左の掌で押さえつけながら(押さえておかないとバネの強い力でハンドルが戻ってしまう)、右手だけで麻ヒモを結んでハンドルを固定したことになっています。こうしてアクセルを踏んだ状態にして、先頭車両のパンタグラフを上げて通電させ、無人電車を暴走させたというのですが、一人でこのような固定作業を行うのは不可能です。そもそもヒモを結ぶという作業は、両手の指を使わなければできません。ところが確定判決も認定しているように「ハンドルから手を離すと、ハンドルは少し戻った」状態になるため、ヒモを結ぶ前
に左手をハンドルから離すことはできません。もう一本の手がなければヒモは結べないのです。

また、現場から発見されたのは紙ヒモであり「麻ヒモ」との供述と矛盾する、紙ヒモに「コイル巻き」という特殊な結び目があったことの説明がないなど不自然なことだらけです。

■新証拠で明白となった「複数犯による犯行」
さらに、第二次再審で提出された新証拠は事件が「複数犯」による犯行であることを明確にしました。

① 確定判決は、竹内さんは先頭車両の運転台に入り、先頭車両のパンタグラフだけを上昇さ
せて電車を暴走させたと認定しています。また、第2車輌のパンタグラフが上昇していたことについては、脱線の衝撃で上がったとしました。これに対し、鉄道工学の専門家の鑑定により、列車が発車する段階で第2車両のパンタグラフが上がっていたことが明らかになりました。

検証調書にある第2車両のパンタグラフの写真によると、パンタグラフが上がっていた状態で下から上に向かって力が加えられたことによる損傷があり、これはパンタグラフが折り畳まれた状態では決してつかない傷だったのです。電車が暴走して一番線ホームに突っ込み、脱線して街路に飛び出す際に生じた様々な破片などが、上がっていた状態の第2車両のパンタグラフに下から上に向かってぶつかったことによる損傷です。

事故車両は相互に車内を移動出来ない構造のため、先頭車両から二両目に移動するには一旦電車を降りなければならず、単独犯で二つのパンタグラフをあげることはできません。

事件当時、三鷹駅構内の信号所2階から暴走電車を目撃した信号係も「スパーク(火花)が2回出たからパンタグラフは2つ上がっていたと思われる」と証言しており、第2車両のパンタグラフが上がっていたことは明白です。

② 最後尾の7両目車両の前照灯(ライト)が点灯していたことは争いのない事実です。前照灯を点灯させるには、最後尾車両に乗り込んでスイッチを「入位置」にしなければなりませんが、竹内さんの自白では先頭車両にしか立ち入っていないので前照灯スイッチが入っていたことを説明できません。

③ 同じく最後尾車両において、手ブレーキ(自動車のサイドブレーキにあたる)が緩められていたこと、最後尾車両の「戸閉め連動スイッチ」という装置(電車が走行中に客室ドアが開かないようにする安全装置)が非常時走行でしか使用しない「非連動」になっていたことも明らかになりました。いずれも竹内さんの自白では説明できないことです。

これらのことから犯人は複数犯で、先頭車両、第二車両、最後尾車両でそれぞれの操作が行われた結果、列車が暴走したことは明らかです。「単独犯行」という自白はこうした客観的事実と一致せず、その信用性は否定されざるを得ません。

■「目撃供述」に信用性はない
Sの目撃供述については、目撃証言の心理学の専門家に鑑定を依頼し、再現実験などを経た結果、その目撃条件は「誤った識別を誘発する」「劣悪」なものであり、人物の顔の識別は不可能であることが明らかになりました。

再現実験は電灯のワット数が100w、電灯の高さは地上から1.84mと竹内さんに不利な条件で行われましたが、鑑定書提出後に検察が開示した証拠では、事件当時の現場の電灯は60W、電灯の高さは5mで、実験より現場の目撃条件はいっそう劣悪だったことが判明しました。目撃供述に信用性がないことは明白です。

■求められる証拠開示
この間、証拠開示された妻の供述調書や竹内さんの初期供述から、事件発生時に竹内さんが妻子とともに自宅にいたことが証拠によって裏付けられました。本件では事故直後に電車区北側の畑からブレーキハンドルが発見され「二個の指紋を検出」と報じられています。また、運転台やパンタグラフを操作する紐からも指紋が検出されたとの報道もあります。ところが、こうした指紋などの重要証拠がまったく開示されていません。多くの冤罪事件で未提出証拠に事件の真実が隠されていました。徹底した証拠開示が求められ
ます。

■竹内さんの無実を明らかにし、戦後史の真実に迫ろう
再審請求中に獄死を遂げた竹内景助さんの長男が、「父の無念を何としても晴らしたい」と申し立てた第二次再審(2011年)に対し、東京高裁第4刑事部は19年7月、請求棄却の不当決定を出しました。数々の新証拠に目をそむけ、「疑わしいときは被告人の利益に」の鉄則に背いた高裁決定は断じて容認できません。また、2022年3月1日、東京高裁(異議審)が不当決定。最高裁に特別抗告申し立てをしていましたが、2024年4月17日、不当決定。75年前、国鉄を舞台に連続して起きた下山、三鷹、松川事件を契機として占領政策の転換、大量の人員整理、レッドパージが行われたことは歴史的事実です。戦後史の画期をなした三大事件の一角を占める三鷹事件が「一労働者による突発的な単独犯行」であるというストーリーは、あまりにも不自然不合理です。

三鷹事件が竹内さんの「犯行」でなかったのであれば、松川事件と同様に何らかの組織・機関による政治的謀略であると考えざるを得ず、その真相解明が求められることとなるでしょう。

竹内景助さんの無念を晴らし、戦後史の真実に迫る、三鷹事件第二次再審へのご支援をお願いします。

守る会の連絡先/署名等
三鷹事件の真相を究明し、語り継ぐ会
〒190-0021 東京都立川市羽衣町2-29-12
国民救援会三多摩総支部 電話/FAX 042(524)1532

ビラ
「事件の真相を究明し、竹内景助さんの再審実現を!」