2008年7月5日号
 
 
  長野ひき逃げえん罪事件
ボクは轢ひいてない
無実を訴える塚田学さん

 「私は人を轢いていません」――長野・ひき逃げえん罪事件で、無実を訴える塚田学さん。一・二審とも懲役2年の不当判決が言い渡され、現在最高裁でたたかっています。6月23日、無罪をめざし最高裁要請を行いました。

事件

 2006年5月の深夜、長野市内の住宅街で、酒に酔った警察官がひき逃げされ、死亡しました。
 事故から7カ月後、塚田学さんが逮捕され、警察の強要・誘導によりウソの「自白」をさせられました。
 要請で塚田さんは当時の様子を話しました。
 「警察官に『ボクじゃない』と言うと、『お前じゃないなら家族や友人が犯人だ』『認めれば執行猶予になる』などと言われ、家族には迷惑をかけらないと思い、ウソの『自白』をしました」
 警察は、塚田さんが自家用車(ステップワゴン)を運転し、轢いたとしました。しかし事件当時、塚田さんは会社の車(カローラ)を運転し、レンタルビデオ店に行っていました。そのことを裏付ける証言もあります。
 「事故当時、塚田君の車が駐車場に置いてあったのを見ました。ぼくは車が好きだし、友だちの車は目に入るんです。裁判所で証言したけど信用できないと言われました。なぜ信用できないのか、きちんと調べてほしい」
 要請に参加した塚田さんの友人は訴えました。

不当判決

 検察官は、塚田さんの車の車体の底にある部品の形が、被害者の履いていたジーパンに残っていた痕跡と「類似」すると主張。しかし科学捜査研究所の鑑定人は、「特徴は似ているが、形状は異なる」と証言。検察の主張は根拠がありません。
 他方、検察官は、塚田さんの車がカーブを曲がり、時速20キロほどで寝ていた被害者を轢いた、被害者はその車の下で1回転した、と主張。
 塚田さんの車は、最低車高13センチ、左右のタイヤ間は148センチ。一方、被害者の頭部は縦20・5センチ、横19センチ、肩幅41センチ、身長は170センチ。被害者の頭や肩に骨折はなく、身体にタイヤ痕もありません。また、事故現場の近所の人はガス爆発のような大きな衝撃音を聞いていますが、時速20キロで轢いた場合にそのような衝撃音が起こるでしょうか。被害者は立っていた状況でぶつかったと考える方が自然です。
 だれが見ても、検察の主張は誤りです。しかし、裁判所は、人間には柔軟性があり、轢かれて1回転したとしてもおかしくないと、有罪判決を出しました。
 二審の東京高裁は、1回で結審し、塚田さんの訴えを退けました。

無実

 要請に参加した塚田さんと両親、そして守る会のみなさんと国民救援会の会員は、各々「上申書」や「嘆願書」を持参し、「塚田さんは無実です。必ず無罪判決を」と訴えました。全国からの支援をお願いします。
〈要請先〉〒102―8651 千代田区隼町4―2 最高裁第2小法廷・今井功裁判長

 
  岩手・花巻
荒川さん招き講演会
震災にもかかわらず106人

 花巻支部は6月15日、葛飾ビラ配布弾圧事件の荒川庸生さんを迎え、学習講演会を開催しました。突然の岩手・宮城内陸地震にもかかわらず、盛岡、北上、一関からの参加を含め106人が講演に聴き入りました。
 荒川さんは事件を説明し、「マンションにいつもどおりにビラを配った私の行為がなぜ不法侵入の犯罪になるのか」と主張、憲法と市民常識から見て断じて無罪であると訴え、共感を呼びました。二審の逆転有罪判決を「無罪を無理やり有罪にしようとする不法判決」と糾弾。さらに、「私のビラ配布は、宗教者として真宗大谷派の不戦決議の実践でもある」と述べ、参加者に深い感銘を与えました。
 「弾圧の詳細を聴くにつけ、怒りの気持ちが昂ぶりました」「感銘を受けました。なんとしても勝利させたい」など、多数の感想文が寄せられました。署名100筆、カンパ6万8千円余が集まりました。
 学習講演会は、荒川さんの講師決定を大きなバネに、近隣市町からの参加も増えて、成功したものです。常任委員会、20人の推進委員を中心に、毎週の会議開催、支部ニュース発行の体制でとりくみました。
 支部では18日に総括会議を開き、ビラ配布を守る会への加入運動、最高裁への署名活動の本格化にとりくむ方針を決めました。また、学習講演会にとりくむなかで、5人の会員を拡大したのに続き、08年度拡大目標を早めに達成しようと決めました。
(支部事務局長・金野昭人)
青森支部も盛況
 荒川庸生さんは、花巻市での講演会の前日14日、国民救援会青森支部主催の学習会に参加しました。
 学習会は62人の参加で盛況でした。