2008年1月5日号
新年のごあいさつ
80周年を歴史的な年に
日本国民救援会会長 山田善二郎

全国の会員のみなさんに、謹んで新年のご挨拶を送ります。
 創立80年を迎える今年は、国民救援会の力を存分に発揮して歴史的な年にすべく、お互いに誓い合いましょう。

 昨年は、人権と民主主義をめぐって厳しいたたかいの1年でした。
 選挙弾圧大石市議事件の控訴審判決は、有罪とはいえ公民権停止をはずさせ、大石さんの議席を守ることに成功しました。しかし、葛飾ビラ配布弾圧事件の控訴審は、全くひどい判決で悔しい限りでした。国公法弾圧堀越事件は控訴審が始まり、世田谷国公法弾圧事件は一審で判決を迎える段階にあります。また昨年は、多くの冤罪事件の裁判で、相次いで有罪が宣告されました。
 アメリカに隷属して政治の舵を「戦争をする国」に向けた自・公連立政権の下で、このように弾圧事件や冤罪事件が増加し、それに伴って真実を無視した懲罰的な裁判が激しくなっています。私たちは、戦争と弾圧や人権侵害が表裏の関係にあった歴史の事実と今日の状況を重ねてみて、人権と民主主義のたたかいを強化しようと語り合ってきました。
 最高裁でのたたかいは、大石市議事件に加えて、葛飾ビラ配布弾圧事件が加わります。すべての上告事件の勝利のために力を尽くしましょう。
 昨年末に行われた名張、布川の2事件の最高裁と東京高裁への共同要請行動は、新たな支援の広がりを得て大きな成功をおさめました。今年は、必ず再審開始・無罪を勝ちとる決意をこめて、支援の輪をさらに広げましょう。また、各地の高裁や地裁で裁判闘争中の事件の一つひとつを確実に勝利するために力を合わせましょう。
 今年は、国連欧州本部で、国際人権規約にもとづく日本の人権状況についての審査が行われます。国民救援会は自由法曹団などと共に政府報告書に対する反論報告を作成中です。人権と民主主義の国際活動を強める絶好の機会です。
 今年はまた、総選挙が必至といわれ、すべての政党や党派が選挙に向けた取組みを進めています。イギリスのブレアー首相が失脚し、オーストラリアの保守党党首が落選するという大敗北を喫するなど、アメリカのブッシュにべったりの政治を行った国ぐにで大きな変化が起きています。日本も昨年の参議院選挙がそうでした。総選挙でも、憲法を守り平和で希望に満ちた社会を志向する勢力の躍進を期待して、大いに活躍しましょう。

 これらのことを考えると、国民救援会の組織拡大の重要な今日的意義を痛感させられます。会員のみなさんが、周りの人びとに声をかけて入会を訴えてください。中央本部は、そのために新しいポスターやビラに加えて、国民救援会の歴史と活動をわかりやすく解説したパンフやDVDなどを作成中です。
 国民救援会を拡大強化し、その力で弾圧や人権侵害、憲法改悪などの悪法を許さず、すべての裁判の勝利をめざしてたたかいながら、創立80年を飾りましょう。

 
 
  新年のごあいさつ
団結強め、言論の自由守るたたかい強めよう
自由法曹団幹事長 田中 隆

明けましておめでとうございます。2008年を迎えて、国民救援会員のみなさんや「救援新聞」読者のみなさんは、決意を新たにしておられることと思います。

 2007年は、まさしく激動の年でした。
 1年前の07年冒頭、私たちは「憲法を頂点とする戦後レジームの脱却」を叫び、明文改憲の強行と構造改革の完成を打ち出した安倍晋三内閣と対峙していました。
 安倍政権のもとで、改憲手続法、教育3法、米軍再編特措法、イラク派兵延長法、ゲートキーパー法などが次々に登場し、次々と強行されていきました。07年通常国会は、国民の意思に反する「戦後レジーム脱却」法案が強行され続けた「暴走国会」でした。
 しかし、07年はそれだけでは終わりませんでした。改憲手続法やイラク派兵延長・米軍再編などは、憲法と平和への思いを呼びさまし、「暴走国会」への怒りが渦巻きました。生活格差や地域格差が白日のもとにさらされ、格差社会やワーキングプア、自治体破綻などが政治問題になりました。
 こうした思いや怒りや憤りがひとつに結びついて、7月29日の審判を導き出し、与野党逆転の参議院と安倍政権を崩壊させました。平和とくらしを守る国民の意思が政治を突き動かし、政権を崩壊させるまでの力を発揮した歴史的なできごとでした。
 あれから5か月、沖縄県民の怒りが「集団自決」検定の修正を余儀なくさせ、岩国市などでは米軍再編・基地強化攻撃に反対する自治体ぐるみのたたかいが続いています。報復戦争参加法(旧テロ特措法)失効でインド洋での給油が停止してすでに2か月になります。「反テロ戦争への戦線離脱」を非難する声はなく、オーストラリアではイラクからの撤兵を掲げる野党が勝利しました。
 世界でもこの国でも、平和の道が趨勢になっていることを示しています。

 国民の意思にもとづく政治を実現するうえで、言論表現の自由が決定的な意味をもっていることは言うまでもありません。にもかかわらず、07年12月11日、東京高等裁判所は、葛飾ビラ配布弾圧事件の一審無罪判決を破棄し、逆転有罪判決を言い渡しました。財産権・管理権を絶対視して言論表現の自由への安直な制約を認めたもので、歴史への逆行以外のなにものでもありません。
 同じく言論表現の自由にかかわる堀越事件は東京高裁で、宇治橋事件は東京地裁でいずれも重要な段階にさしかかっています。

 平和とくらしを守ろうとする国民の声が高まっているいま、民主政治を発展させるためにも、政治弾圧を許さず、言論表現の自由を守り抜くたたかいを強めねばなりません。
 これまでつちかってきた国民救援会と自由法曹団の固い団結をさらに強め、2008年のたたかいを大きく発展させたいと考えています。
 本年もよろしくお願いいたします。

 
 
  80周年記念企画 国民救援会のあゆみ@
国民救国民救援会の誕生
救援運動の源流をさぐる
 今年は国民救援会の創立から80年の年です。今日のように4万7千人以上の会員を擁する、日本最大の人権団体になるまでに、多くの人びとと連帯し、権力による弾圧とたたかってきました。国民救援会がどのような時代に創立され、いかなる運動を経て発展してきたのか、その80年のあゆみを追いかけます。(文中敬称略)

 第1回は、国民救援会の結成とそれに至る救援運動の源流を探ってみましょう。国民救援会は1928年(昭和3年)に創立されますが、話は明治にさかのぼります。

天皇制権力とのたたかい

 1868年に始まった明治維新によって、日本は政治・経済・文化の面において大きな変化を遂げました。徳川幕府に替わって新政権を担うことになったのは、国を統治する全ての権限を天皇が握る絶対主義的天皇制権力の確立をめざす勢力でした。

・自由民権運動

 この勢力に対し、かつて武士階級だった士族や、土地や資本を持った豪農・豪商が中心になって、参政権と自由および自治を求めて自由民権運動が沸き起こったのです。
 この運動に対して支配権力は、絶対主義的天皇制秩序を維持するために、大逆罪(天皇、皇族などに対し危害を加えた者、加えようとした者は死刑とされた)、不敬罪(天皇、皇族などを批判する行為が犯罪とされた。公然の要件がないため、日記にも適用された)、内乱罪といったものを柱に、国民を抑圧する法制を次つぎと打ち出していきました。また、政府を批判する言論に対する抑圧法制(新聞紙条例、出版条例、治安警察法など)も矢継ぎ早に打ち出しました。
 こうした経過のなかで、1889年に大日本帝国憲法が施行され、絶対主義的天皇制権力が確立していきます。明治の初期以降、この国民抑圧体制に対抗し、農民のたたかいとも結んで展開された自由民権運動は、過酷な弾圧によって明治終期に挫折・凋落(ちょうらく)しました。

・大正デモクラシー

 自由民権運動が挫折したといっても、国民のなかにその種子は受け継がれていきました。大正時代(1912年〜)に入ると、進歩的な知識人が中心となった民主主義運動、大正デモクラシーが始まりました。さまざまな課題を掲げた自主的集団による運動が展開され、民主主義、自由主義への時代思潮がつくりだされたのです。しかしこの運動は、運動の担い手となった小ブルジョアジー階層の狭さやひ弱さもあって、強権政府の前に国家体制を揺るがすような運動には至りませんでした。

現代につながる団体・組織の結成

1920年 新婦人協会
1921年 日本労働総同盟、自由法曹団
1922年 全国水平社、日本農民組合、日本共産党、学生連合会
1923年 日本共産青年同盟
1925年 日本プロレタリア文芸連盟
1928年 全日本無産者芸術同盟

新たな運動の担い手

 こうした自由と民主主義を求める権力とのたたかいのなかで、1920年以降、新たな運動の担い手となったのは、労働者・農民が結集した社会主義運動、労働組合運動、農民運動などでした。この時期において国民は、侵略戦争反対、主権在民、生活向上、社会進歩などを求めて専制政治と立ち向かい、歴史を動かす前面に登場したのです。実際この時期には、現代につながる団体・組織の結成が相次いでいます(別表)。

・治安維持法の登場

 このように発展・高揚してきた国民のたたかいに対して、権力側は従来の弾圧立法のみでは効果的に対処できない状況をふまえ、社会主義運動の徹底的な弾圧をはかりました。この弾圧立法の頂点をなすものが、1925年に公布された治安維持法でした。治安維持法は、弾圧対象の焦点を結社に絞り、「国体ノ変革」という新たな構成要件をもつ刑罰法を導入しました。なお治安維持法は、当時、国民の大きな要求であった普通選挙法(25歳以上の男性に選挙権と被選挙権を与える)と抱き合わせで公布されました。このことは、今の公職選挙法による選挙規制や選挙弾圧の狙いを考えるうえで、見逃せない点です。
 この治安維持法による弾圧は、裁判によって処罰することよりも、警察留置場への長期の拘禁とこれによる「転向」を強要し、屈服させて、釈放後は国民監視体制のもとで思想統制を強化することにこそ、その目的がありました。こうした暴虐は、アジア・太平洋地域での侵略戦争の遂行と一体のものとしてすすめられたのです。

解放運動犠牲者救援会創立宣言

 (1928年4月7日)

 我が国最近の社会的状勢は労働者農民と資本家地主との闘争を益々激化せしめてゐる。
 貧窮と抑圧の生活に抗争しやがては自らの搾取を支配階級より解放せんとする労働者農民に対して資本家と地主の政府は弾圧を以て臨むのである。
 労働者農民の解放運動こそ平和と自由の使者であり、よりよき社会の曙光である。然しながら社会進化のあるところ悲壮なる犠牲者あるは普く歴史の示すところである。
 労働者農民の解放運動一度吾国に起りし以来、傷つき倒れ獄に投ぜられし者はその数数へ難き程であらう、親を失ひ夫を離れたるそれ等の家族は幾度悲嘆の泪にくれた事であらう、まことに解放運動に於ける犠牲者はその政治的傾向の如何に関らず社会進化の犠牲者である。
 吾等が茲に解放運動犠牲者救援会を組織するに至ったのは、解放運動に於ける各種の犠牲者及びその家族を救援慰安することを以て吾等の社会的責務と信ずるが故である。
 労働者農民は自らの戦線の犠牲者並にその家族救援のために一致団結せよ!
 正義と同情の人は社会進化の犠牲者並にその家族救援のために起て!

国民救援会の創立と理念

 こうした情勢のなか、当時大きく社会問題化していた野田醤油労組の争議への弾圧で犠牲になった労働者やその家族を救うことを目的に、超党派的な救援組織の創設が準備されました。ところが、結成準備の間に治安維持法による日本共産党への弾圧事件(3・15事件。全国で1568人が検挙され、483人が起訴された歴史的大弾圧事件)が起こされました。このため、国民救援会はまだ「準備会」の段階でしたが、東京、大阪、京都、神戸、福岡、仙台、札幌など犠牲者の出たところにすべて支部をつくって、抗議や救援の行動に立ち上がり、この犠牲者救援、統一・公開公判要求・傍聴者組織などのたたかいが、最初の活動となりました。

・国民救援会の創立

 1928年4月7日、国民救援会(当時の名称は「解放運動犠牲者救援会」)の創立大会が開かれました。会場となった協調会館(現在の東京都港区、中労委会館)には、3・15大弾圧の直後であったために、救援運動の重要性を痛感した人びとが続々と詰めかけ、会場の講堂は600人の参加で超満員になりました。
 採択された創立宣言は、わが国の進歩と革新、平和と民主主義を守るたたかいにおいて弾圧された人びとは、「その政治的傾向の如何に関((ママ))らず社会進化の犠牲者である」として、「犠牲者並(ならび)にその家族救援」を、思想信条、階層の違いを越え、大衆的に展開しようと呼びかけました。馬島〓(かん)、大山郁夫、布施辰治の記念講演に熱烈な拍手が送られ、弾圧の嵐のなか、前進への大きな期待と自信に満ちて国民救援会が創立されました。

・救援運動の意義

 戦後、国民救援会の会長を務めた難波英夫は、当時の救援運動の意義と任務を次のように伝えています。
 ……救援会は犠牲者救援運動の労働者農民に対する外部からの生温かい同情者の組織ではなくして、労働者・農民自身の内部からの大衆的な組織であって、ただわれわれ自身が先に立って自己を防衛することによってのみ、他の層の同情者をも引きずってわれわれの解放運動に応援せしめ得るものである。
(「解放運動犠牲者救援運動の意義と任務」『マルクス主義』1929年4月号)
 これは、弾圧の強化に対して萎縮し、国民救援会の組織を「同情者の社交団体」に変えて、差し入れと家族の慰問などのみにとどめるべきだという「退却論」に対する回答となり、国民救援会の創立時に掲げた方針を再確認する力となりました。

※次回は、国民救援会の戦前・戦中の姿を追っていきます。

 
 
  東京・葛飾ビラ配布弾圧事件
逆転不当判決
裁判所が「憲法の番人」の役割を放棄
 東京・葛飾区のオートロックではないマンションに、日本共産党「葛飾区議団だより」などを配布した荒川庸生さんが「住居侵入」として不当逮捕された葛飾ビラ配布弾圧事件の控訴審判決公判が12月11日、東京高裁第6刑事部で開かれ、池田修裁判長は、一審無罪判決を破棄し、「罰金5万円」の逆転不当判決を言い渡しました。荒川さんと弁護団は、ただちに最高裁に上告しました。

 傍聴する支援者で満席となった東京高裁102号法廷。緊張の空気が張り詰めるなか、池田裁判長は、キョロキョロと自信なく傍聴席を見回し、硬く暗い表情のまま開廷を告げます。
 「主文、原判決を破棄し、被告人を罰金5万円に処する」。裁判長の小さな声が逆転不当判決を告げると、「えっ、うそ。どうして」と傍聴席から驚きと疑問の声が漏れました。荒川さんは険しい表情で裁判長を見据えます。

「表現の自由」
踏みにじる

 池田裁判長は、まず、マンションの玄関ホールにビラやパンフレット投函を禁止することが書かれた張り紙があった点に言及。管理組合理事会で決定されたものであり、掲示によって来訪者にも伝えられていたこと、また、この決定に対して住民から異論や苦情はなかったとして、部外者の無断立ち入り禁止は住民の総意であったと判断し、「住居侵入罪」の成立を認めました。
 一審判決が慎重な審理のうえで「はり紙は商業活動を禁じる趣旨に読める」とし、ビラ配布目的だけであれば共用部分への立ち入り行為を刑事罰の対象とする社会通念は確立していないとして、明確な意思表示がなければ立ち入っても住居侵入罪にあたらないと判断したことに対し、高裁判決は「はり紙があった」ことを形式的にあてはめた不当な内容です。管理組合理事会の議事録には十分な討議で決定したことが記されておらず、掲示も見にくい場所にあって、必ずしも「来訪者に伝えられていた」とはいえません。荒川さんは掲示に気づきませんでした。また、事件後マンション住民が「ビラは役立っている」「逮捕までする必要はない」と話していることなどをいっさい無視し、ビラ配布禁止が住民の総意であるかのように勝手に判断しているのは極めて不当です。
 つぎに、この裁判の最大の争点として注目された「表現の自由」について検討。判決は、「憲法21条1項は、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のために必要かつ合理的な制限を是認するもの」であり、「たとえ思想を外部に発表するための手段であっても、その手段が他人の財産権などを不当に害することは許されない」などとして、憲法を踏みにじる極めて不当な判断を行いました。また、このような制限を行っても、「ドアポストへの投函以外の方法も可能であること」、「個別の住民の許諾を得たうえでドアポストに投函することは禁止されていないこと」、「住民らが管理組合の決議等を通じてビラ配布のための立ち入り規制を緩和することができないわけではないこと」をあげて、住民の知る権利を侵害しているわけではない、などと根拠も示さぬまま、辻褄(つじつま)の合わない言い訳を弄(ろう)しました。
 裁判長の声は次第に小さくなり、わずかA4用紙2枚の判決要旨を15分ほどで読み上げると、「不服のときには上告できる」と捨て台詞のように言い残して、そそくさと退廷していきました。傍聴席からは「不当判決だ」「憲法を守れ」などと批判の声があがりました。

国民救援会が抗議声明〈要旨〉

 12月11日、東京高裁第6刑事部は、東京地裁が言い渡した無罪判決を覆して、罰金5万円の有罪判決を言い渡した。
 一審の無罪判決は、「一般的には、社会通念上、本件のようなマンション内に立ち入ってするビラ配布が当然刑罰をもって禁じられている行為であるとの社会通念が未だ確立されているとはいえない」として「住居侵入罪を構成する違法な立ち入りであるとは認められない」とした。これにたいして、検察側申立てによる控訴審では、この判断をくつがえす立証はなされなかった。加えて、公判を通して、荒川さんがマンションに立ち入りビラを配布した行為により、住民の財産権が侵されたなどの事実は示されていない。
 判決は、「公共の福祉」のためとして憲法の保障する言論・表現の自由を制限するものであり、憲法の番人・人権の砦として国民から付託されている裁判官の責務を放棄するものである。この国を「戦争をする国」にする政治と連動して、国民監視を強め、言論弾圧や多くの人権侵害事件を引き起こしている警察・検察に加担する裁判官を断じて許すことができない。
 日本国民救援会は、東京高裁第6刑事部の裁判官全員に抗議するとともに、最高裁での勝利のために、荒川さん、弁護団、「ビラ配布の自由を守る会」をはじめとした多くの支援者と堅く団結し、組織を挙げてたたかうことを宣言する。

2007年12月12日
日本国民救援会中央本部

ビラの大切さ
最高裁で訴え

 「どうしてこうなるんだ」――裁判所前に詰めかけた支援者のもとに「不当判決」の垂れ幕を掲げた弁護団が到着すると、支援者の間から怒りの声があがりました。「不当判決を許さないぞ」「勝利するまでたたかうぞ」と裁判所に向けてシュプレヒコールが行われました。
 判決後の報告集会で、荒川さんは、「当然無罪と思っていましたが、思ってもみなかった判決でした。たかが5万円の判決ですが日本社会に及ぼす影響を考えると、不当判決に怒りが燃え上がります。東京高裁には憲法がなかったということです。最高裁で憲法判断をしてもらうべく、たたかっていきます」と怒りと決意を表明しました。弁護団の中村欧介弁護士は、「張り紙があれば住居侵入罪が成立するというのは、ポスティングが日常的に行われている一般社会の実態をまったく考慮していない。結論ありきの形式的な判決で、裁判所は表現の自由を守る気がない」と厳しく批判しました。
 報告集会では、憲法と社会常識を無視した不当判決に批判を強め、ひき続き、ビラの大切さを訴えて、最高裁でのたたかいをすすめていくことを確認しました。

〈抗議先〉〒100―8933 千代田区霞が関1―1―4 東京高裁・池田修裁判長
〈激励先〉〒124―0011 葛飾区四つ木5―2―12―202 平和センター ビラ配布の自由を守る会 TEL03(3826)0252 FAX03(3826)0235

 
 
  大分・選挙弾圧大石市議事件
最高裁で必ず勝利を
公選法は憲法・人権規約違反だ
 自由な選挙の実現を求めている大分・選挙弾圧大石市議事件。
 後援会ニュースを後援会員に配布したことを公職選挙法違反(戸別訪問・文書頒布・事前運動)とされ、昨年9月、福岡高裁で罰金15万円の不当判決を受けた大石忠昭さんと弁護団は12月4日、最高裁に上告趣意書を提出しました。当日は、6都府県から22人が駆けつけ、最高裁の正門から入る河野善一郎主任弁護人と大石さんを激励しました。「最高裁で必ず勝利しよう」と決意を固めあいました。

最高裁で訴え

 翌日行われた最高裁前での宣伝で、大石さんは次のように訴えました。

 私は大分県豊後高田市で日本共産党の市議会議員をしている大石忠昭と申します。
 私は公職選挙法を口実に弾圧されました。最高裁は、よく審理をして世界に恥じない判決をお願いします。
 選挙のときほど、暮らしや平和を守るため、候補者には知らせる権利があり、国民には知る権利があります。憲法でも国際人権規約でも、言論活動や選挙活動の自由は保障されているにもかかわらず、公職選挙法は戸別訪問を全面的に禁止し、文書活動を規制しています。これは、憲法や人権規約に違反しています。
 「後援会員に後援会ニュースを配布したら犯罪とはおかしい」と、全国で支援する会がつくられ、地裁でも高裁でも10万を超える署名が寄せられました。大分地裁では、元国連人権委員のエバットさんが証言に立ち、日本の公選法で言論活動を規制しているのは人権規約に違反していることを証言しました。私自身も、国連欧州本部で事件を報告しました。世界的にも注目されている事件です。
 「憲法の番人」といわれる最高裁は、事件を大法廷に回し、口頭弁論を開き、徹底、十分な審議を行うよう求めます。

 
 
  東京・国公法弾圧堀越事件
最高裁判例の変更を
憲法学者が証言
 社会保険庁職員の堀越明男さんが、休日に自宅地域で職務と関係なく行った日本共産党号外の配布行為を「国家公務員法違反」として逮捕・起訴された国公法弾圧堀越事件の控訴審第2回公判が、12月12日、東京高裁で開かれました。
 公判では、弁護側証人の長岡徹・関西学院大学教授に対する証人尋問が行われました。堀越事件では一審につづき2回目の証人尋問となった長岡教授は、堀越事件一審判決の判断ベースとなった猿払事件最高裁判決(1974年)を中心に証言。同判決は多くの研究者が批判していることを紹介し、表現の自由に対する規制は最小限であるべきで、規制する場合には厳格な判断が必要であることをくわしく説明したうえで、「憲法学の立場からは判例変更が求められる」と述べました。最後に「具体的事実に即し、国民感情と学説に合う判決を」と求めました。
 証人尋問終了後、弁護団が申請していた国際法学者の西片聡哉・京都学園大学講師の証人採用が決定しました。次回第3回公判は、2月6日に山瀬徳行・元国公労連副委員長に対する証人尋問が行われます。
 「守る会」は同日、盗撮ビデオの開示を求めて東京高検に要請を行いました。
 
 
  東京・痴漢えん罪西武池袋線小林事件
東京高裁 1月17日に判決
 東京地裁で懲役1年10月の不当判決を受け、現在東京高裁でたたかっている東京・痴漢えん罪西武池袋線小林事件の控訴審判決が、1月17日に決まりました。
 12月11日に行われた最終弁論で弁護団は、小林さんを逮捕した男性が、犯人と小林さんとを間違って逮捕したものだと明快に無罪を主張。高裁での審理では、事件の核心である小林さんを逮捕した男性の証人尋問、再現ビデオの採用という成果も勝ちとってきましたが、11月の町田痴漢冤罪事件ではまったく事実を無視した不当判決が出されるなど、予断を許さない状況です。
 昨年9月に小林さんと家族を支援する会が結成され、署名や要請行動を行ってきました。小林さんは、事件発生前から膠原(こうげん)病を患い、専門医も「痴漢などできない」と証言していますが、この裁判そのものがストレスにもなり、病状も進行しています。逆転無罪判決を勝ちとるため、ぜひご支援をお願いします。
〈無罪要請先〉〒100―8933 千代田区霞が関1―1―4 東京高裁・阿部文洋裁判長
〈激励先〉〒113―0034 文京区湯島2―4―4 平和と労働センター 国民救援会東京都本部気付
 
 
  中央常任委員会
防御権否定に抗議
町田痴漢冤罪事件不当判決の裁判長らに対し
 昨年11月14日、東京高裁(高橋省吾裁判長)は東京・町田痴漢冤罪事件に対し、一審判決(懲役1年6月)を支持し、控訴棄却の不当判決を行いました。その量刑判断において、判決は、「被告人は、不合理な弁解を弄(ろう)して犯行を否認し、被害者に慰謝の措置を何ら講じていないのはもとより、『被害者を証人として尋問する結果も招いている』」として、実刑の理由に被害者の証人尋問を挙げました。国民救援会は、この判断は、憲法の「裁判を受ける権利」および被告人の防御権を否定するものであるとして、11月23日の第8回中央常任委員会において、判決を言い渡した、高橋裁判長ら3人の裁判官に対する抗議文を採択し、裁判所を訪れ抗議しました。
 憲法は、被告人の権利として「すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ」る(37条)と定めています。被告人が、不利益な供述をする証人に対し反対尋問することは、防御権の行使として重要なものです。この事件では、被害者の供述調書を弁護側が不同意としたところ、検察側が被害者を証人申請し、証言台に立たせたのです。それを被告人の責任に転嫁することは筋違いです。
 被告人が憲法上の権利を行使したことを不利益に解釈され、実刑を科せられることがまかり通れば、被告人は反対尋問権を放棄して、検察側調書にすべて同意せざるを得なくなります。これでは、冤罪を明らかにする弁護活動もできなくなります。