2003年9月25日号 |
神奈川・国労横浜「人活」弾圧事件の5人の原告団は9月4日、懲戒免職無効と、JRへの地位確認を求める民事裁判(東京高裁)の控訴をとりさげ確定させました。これにより、昨年8月の、デッチ上げ事件を5たび断罪したうえ、5人の懲戒免職無効と16年余にさかのぼって国鉄職員の地位を認め、これを引き継いだ日本鉄道建設公団の職員としての地位を確認した1審の勝訴判決が確定しました。 国鉄改革法案が成立した5日後の1986年12月3日、横浜貨車区につくられた「人材活用センター」という名の隔離部屋で、国労横浜「人活」弾圧事件は起こされました。 当時、国鉄は余剰人対策として分割・民営化に反対する国労や全動労の組合員を「人活」センターに収容し、仕事を奪い、職制が1日中監視するという人権侵害を行っていました。ここでの劣悪な待遇に対し改善を求めた岡本明男さんら5人が「助役らに4週間の傷害を負わせた」として傷害事件にデッチ上げられ逮捕、そのうち3人が公務執行妨害罪などで起訴されました。 謀略を断罪し5人の地位認め 93年5月14日、横浜地裁は当局のデッチ上げであることを厳しく断罪し、明確な無罪判決を言い渡し、確定しました。 刑事事件を理由にした懲戒免職処分の無効を求める民事裁判は、95年に東京高裁で仮処分が確定。 しかし、当時の国鉄清算事業団はこれを不服として職場に復帰させなかったため、やむなく5人は横浜地裁に地位確認を求める本訴を申立てました。そして、昨年8月の1審判決は、国鉄当局のデッチ上げを断罪し、国鉄を引き継いだ鉄建公団の労働者としての地位を認めました。 国は被害補償と職場への復帰を そもそも刑事事件の無罪確定によって、旧国鉄法、国鉄改革法および諸規定などに基づき5人を事件前の国鉄職員の身分に回復させる義務が国鉄清算事業団とこれを監督する当時の運輸省にありました。それにもかかわらず、国土交通省と鉄建公団は5人の復帰を拒み続け、高裁の和解勧告に対しても不誠実な態度に終始し、最高裁まであらそう姿勢を明確にしていました。 このような現状を前提に1審判決を確定させ、全面解決をせまる決断をしました。5人は、家族と仲間に支えられながら17年間にもわたり不屈に闘ってきました。このまま裁判を続行することによって、働くことが不可能になることは許されません。 原告団は、法治国家にふさわしい人権侵害の被害補償と職場復帰に全力をあげるとともに、今後は諸規定上当然存在すべき国鉄作成の採用候補者名簿を隠している、あるいは失くした責任を損害賠償請求訴訟によって追及していきます。 〈激励先〉〒212―0058 川崎市幸区鹿島田無番地 国労新鶴見機関区分会 国労横浜「人活」刑事 |
亀戸事件追悼会 1923年9月に発生した関東大震災の混乱に乗じて、10人の若き労働運動家・社会主義者らが東京・亀戸(かめいど)警察署内で、天皇制権力と軍隊によって虐殺された亀戸事件の追悼会(主催・同実行委員会)が9月7日、江東区・浄心寺で行われ、約50人が参加しました。 追悼会では、日本共産党東京都委員会、日本民主青年同盟、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟から追悼の辞が述べられ、有事法制やイラクへの自衛隊派兵など戦争への国づくりが強まるなか、これを許さずたたかう決意が語られました。 式典後、境内にある亀戸事件犠牲者之碑に献花し、犠牲者への追悼と2度と亀戸事件を繰り返させない思いをこめ手を合わせました。 関東大震災80周年記念行事に600人 関東大震災80周年にあたり、犠牲者を追悼し、歴史の真実を世界的視野から考えようと、8月30、31の両日、東京・江東区内で記念集会(主催・同実行委員会)が開催され、のべ600人の参加で成功しました。 集会では、韓国、中国からパネリストを招き、関東大震災での虐殺問題や追悼・顕彰活動などが報告・討議されました。日弁連からは、小泉首相に対し、虐殺された朝鮮人・中国人の遺族への謝罪と原因の究明を求める勧告書を提出したことが報告されました。集会では、虐殺の真相究明とともに、連帯を広げることの必要性が強調されました。 |
日本国民救援会中央常任委員会は9月18日、7月10日に起きた長崎満氏の逮捕事件について、この間の調査をふまえて、以下のコメントを発表しました。 7月10日深夜、痴漢冤罪長崎事件の元被告長崎満氏が、「東京都迷惑防止条例」違反(電車内でカメラ付携帯電話によって女性を無断で撮影)の疑いで現行犯逮捕・起訴され、9月26日に第1回公判が開かれます。長崎氏は容疑事実を基本的に認め、謝罪の意思を表明しています。 長崎氏は、1997年10月に痴漢をしたとして逮捕されましたが、無実を訴えて最高裁まで争ってきました(2002年9月上告棄却で不当な有罪判決が確定)。同氏から支援要請を受けた救援会は、この事件を救援会の「冤罪事件を支援する基準」にもとづき調査し、冤罪事件として支援することを決定し、全国的な支援が取り組まれました。 それだけに今回の事件が、事件関係者、救援会員、加盟団体をはじめ支援してくださった全国のみなさんに大きな衝撃を与えることになりました。そして、冤罪を晴らすためにたたかう事件関係者への国民の不信と誤解を招く結果となり、きわめて遺憾です。 救援会は、長崎氏の行為は絶対に許されない反社会的行為であり、その責任は極めて重大であると考えています。 救援会は現在、全国で数多くの人権侵害事件、冤罪事件を支援しており、また救援会にはたくさんの人びとが支援を求めてきています。救援会は、救援運動が果たしている社会的な役割を自覚して、今後この運動をいっそう発展させる決意です。 |
関東大震災下の虐殺A ●朝鮮人虐殺 大地震直後から「鮮人(「朝鮮人」の蔑称)が暴動を起こした」「鮮人が井戸に毒を投げいれている」などのデマや事実無根のうわさが市中に流れました。政府はそれを追認した上、朝鮮人の取締りと「自警団」の結成を呼びかけました。その結果、軍隊や、在郷軍人や、青年団などを中心に結成された「自警団」によって、何の罪もない、6000人を超える朝鮮人が日本刀やとび口、竹やりなどで殺されました。 この背景には、朝鮮人への蔑視、排外主義、当時高揚していた朝鮮人の民族解放運動への危機感、そして低賃金労働力としての朝鮮人労働者の進出に対する日本人労働者の反感などがありました。 日本政府は、いまだに朝鮮人・中国人虐殺に対し責任をとっていません。この8月、日弁連は、国が、虐殺された被害者・遺族に対し謝罪し、真相を明らかにするべきである、との勧告書を小泉首相に提出しました。過去の責任をあいまいにさせてはいけません。(つづく) |